語感による科学的名づけ

”脳がほぐれる言語学”著者金川欣二先生への手紙

 

”脳がほぐれる言語学” 著者金川欣二先生への手紙  

金川欣二先生

先生のご本読ませていただきました。

大変な博学、話題が豊富で付いて行くのが大変でした。ときめきを感じながら読ませていただきました。十分理解できたわけではありません。ひょっとすると冗談でおっしゃったことをまともに取っているかもしれません。

私は、銀行を定年退職後、縁あってベンチャーの立ち上げに加わり、その企業がたまたま’ブランドの語感’を分析するビジネスであったことから、ことばの音の持つイメージについて勉強しました。学生時代は数理経済学の専攻でしたので、言語学はまったくの素人です。ソシュールもチョムスキーも読んではいません。心理学、脳科学は学生時代から関心をもっていました。そのようななかで言語学も少しは理解したいと思い先生のご本を読ませていただきました。いろいろ理解しきれていないのですが、非常に大きな違和感を持ったところがありましたので、反論の形でご質問をさせていただきます。

違和感があるのは、
コードとメッセージの関係は[恣意性]がある。
言語の価値は[通時態]ではなく[共時態]にある。
の二点ですが、先生もそのようにお考えでしょうか。

,亡悗掘∋笋魯魁璽匹肇瓮奪察璽犬隆屬防然性とまではいかなくとも関係性があると思っています。やまとことばに関する限り恣意的ではありません。

△砲弔い討蓮言語の価値といっているのは正しさだけの話なのでしょうか、それなら過去は問わなくてもいいのですが、コードとメッセージの関係性が語源にさかのぼりますので、成り立ちを問わない単なる記号論であれば、それは事実から遊離した空論でしかなくなるのではないでしょうか。
少なくとも、やまとことばを[あるがまま]に見れば、そのコードとメッセージに明らかな関係性が見てとれます。欧米の言語を対象にし、メッセージを意味とのみ捉えているため見えないのではないでしょうか。
メッセージは辞書的に記述できる意味的なものと、ニュアンスをも包括したイメージ的なものを持っています。意味としてしまえば、それは約束事、テセイ的ですが、イメージは本質的、ピュセイ的です。

これらに関し具体的疑義は以下の点です。
○ P059
コケコッコー            kko−
コッカドゥードゥルドゥー    kkadoudourudou−
コクリコ              uri
キケリキ              eri
クカレク              are

これがどうして恣意的といえるのでしょうか。語頭がすべて k ではないですか。それだけではなく語中にも k が多用されているではありませんか。これは偶然ですか。

○P059 [英語のSLという音の連続は、slip,slope,slant,slacks どれも滑りそうな語感のある語が多い。これも必然的に見えるが、他の言語でも当てはまる訳ではない]とありますが、少なくとも日本語では、S と L(R) は抵抗なく流れ滑るイメージでよく使われます。もちろん、日本語では拍が単位となっていますので母音と結びついてではありますが。
    SARA-SARA  SURU-SURU  SORO-SORO    SURA-SURA

ことばとしても、 すり抜ける、さらっと、さらりと、すらっとした などがあります。

○山口仲美さんの発見 ぶ が水と関係している、というのは正しい気付きではないでしょうか。B・P 音は、唇をはじいて発声しますので、破裂する、はじけるイメージを持っています。それゆえ、水がはじけるのに、 ボチャン、ジャボン、ピチャピチャ、ドボン などと使われるのであって、英語でも B・P は破裂のイメージでも使われています。
    RAKE, OMB, UNCH, URST

コードとメッセージを意味的に、一次的に結び付けようとするから関係性が見えないのであって、音の持つイメージで考えると必然が見えてきます。ことばの音の持つイメージが見えていないのではないでしょうか。

ソシュールのメッセージとコードの関係は恣意性があるとの考えは[コンコルドの誤り]ではないでしょうか。

○P088 [‘水’を‘ミ(ズ)’というのかは決して分からない]とおっしゃっていますが、そうでしょうか。例えば、私なら次のように推論します。

古くは 水=SI であった。(中西進説)(語感からも水が SI であったのは納得できます)
実在としての水=SI から 流れる水=SU になったかもしれない。(母音変化)
大切に思う心から ミ がついて MISU (ミケ(御飯)、ミユキ(御行)など)
存在感がまして濁音化して MIZU

と考えられないでしょうか。私は全くのアマチュアです。専門家ならもっと緻密に研究することもできるのではないでしょうか。(音韻変化を中心に)(また、したがって、清水(SI+MIZU) は二重語か)

○先生は[根源を探ると何もないことが多い][過去より現在]とおっしゃっていますが、すべからく過去あっての現在ですし、やまとことばでは現在の中に過去すなわち根源が色濃く残っています。日本語を対象とした新しい言語学をつくるべきではないでしょうか。

言語において、コードとメッセージが恣意的だというのは日本の外の話であって、日本語特にやまとことばでは必然に近いと思います。すなわち、ことばの音の響き、いわゆる語感とことばとが密接な関係にあるということです。語感と’ことばの意味’が結びついているという意味ではありません。ことばの伝えたいことのイメージと、そのことばを構成している音素の持つ’イメージのカタマリ(クオリア)の全体としての流れ’が、マッチしているということです。

そもそも言語とは、ピュセイ的に、音のイメージで何かを伝えるべく、ことばが出来てきたのでしょう。いろいろのことばがバラバラにいくつも出来たでしょう。そのうちのいくつかが、イメージを伝えやすいと多数が認め生き残り広がっていったのでしょう。そして、約束的な、あるいは民族のクセのようなもの・テセイ的なものが加わって各言語として成長していったのでしょう。
そして、欧米では抽象化が進みピュセイ的なものが見えにくくなってしまっているのだと思います。ただ、 slip などの他にも cool, smooth, cut, kill などピュセイ的な単語も多く残っています。現在、日本人が日常会話に取り入れている外来語にはピュセイ的な単語が多いようです。(クール、ホット、スムース、モンブラン)

ここで私がピュセイ的といっている本質は意味ではなく語感です。ソクラテスもいっていますようにことばの音それぞれが固有のイメージを持っています。このイメージを意味としてしまったために、その後の議論が進まなくなったのでしょうが、私は、イメージをイメージのまま[あるがまま]理解すべきだったと思います。
音それぞれが、いろいろなイメージのカタマリ、すなわちクオリアを持っている。そして、一つのことばは、このイメージのカタマリの一つの流れとして、同じくクオリアだと思います。
そして、人々はこのクオリアの一部を使って物事を表わすのに使った。聞き手もコードの音の持つイメージのカタマリの中に、メッセージの伝えたいイメージを感じ分けて、そのことばを使うようになったのではないでしょうか。

K の発音には、固いイメージも乾いたイメージも鋭いイメージもあります。
    KATAI, KAWAITA, KIRE, KANKAN, KOCHIKOCHI 

そして英語では cut, kill などの表現があるのでしょう。これらのことばと K(C) との関係は必然ではないにしろ、イメージ的には相関があり偶然ではありえません。

私たちは、この音の持つ語感の源泉を発声時の口腔内体感だとの仮説をたてています。(ソクラテスもこれに近いことをいっています)したがって、語感については、日本人だけではなく欧米人も同じように感じるはずです。ただ、その感じを快と思うか、不快と思うかは文化によっても、男女によっても、年齢によっても違うようです。

コードとメッセージをイメージというフィルターを通して見ると相関が見えてきます。これは メタ でしょうか。パラダイム・シフトでしょうか。(メタメタとはいわないでください)

随分、生意気なことを書いてしまいました。さぞかし、メマイされたことでしょう。
ただ、私としては、まじめに一生懸命考えました。考え方に大きな錯誤があるようでしたら、ぜひご指摘ください。
周縁のまだ外からの乱暴な発言、お許しください。
                           平成20年3月27日
                                         増田嗣郎

なお、語感についての私の勉強成果は、私のホーム・ページにまとめてありますので一度ご覧ください。この文章も、いずれここに掲載したいと思っています。
     www.gokanbunseki.com

 

金川欣二先生

 お忙しい中、メールご丁寧な返信、有難うございました。
また、語感にもご理解をいただき、有難うございました。

お礼の意味も込めて、ご家族の名前を分析させていただきました。(パワポで添付)
 今、開発中のワンワン・エンジンでの結果は下記の通りです。これは、名前の音の通りに育てばなったであろう性格のイメージと、最も近い犬の種類(性格中心に)を割り出すもので、私の遊びの部分で、科学的占いとでもいえるのでしょうか。まだ調整中での試作品ですが、結果はいかがでしょうか。(勝手に分析してすみません)
欣二 = ヨクシャーテリア
睦美 = 柴犬(二番目はシェトランド・シープドッグ)
祐貴 = ビーグル
未蘭 = シェトランド・シープドッグ

先生のサイトで気づき、アマゾンで[おいしい日本語]を取り寄せ、ざっと目を通させていただきました。なぜか初版が届き、気づいた校正ミスが 23 ありました。(正解はいくつですか)
やはり気になりましたのが恣意性の議論で、必然でなくとも関係性のあるものを恣意といっては誤りだと思います。

P108 [ 言葉というのは元々、恣意的なものだからだ。    ・・・・umaと呼ぶか、・・・理由がなくて、たまたまそうなっているだけ・・・ ]

maという発音は、語感的には、大きく満ち満ちて、少し柔らかく、温かい、正に[馬]にぴったりのイメージを持っています。また、したがって、母親的なものも強く感じられます。ここからも、マーマー、マザー、マンマなどの言葉が出来てきたと思います。
たぶん、マリヤ、マヤなどの言葉も関係があると思います。

[ねこ]の語源については、山口仲美先生が、[ねーねー]と鳴くかわいいもので[ねこ]、[ひよひよ]と鳴くかわいいものが[ひよこ](もともとは、ピヨだったかもしれませんが)、[べーべー]と鳴くかわいいものが[べこ(牛)]だと何かに書いていたと思います。
ちなみに、koの語感には、小さな、コロコロした、そしてかわいいイメージがあります。(なお、語感に随分こだわるようですが、私は決してサバンではありません。)

またまた、ど素人が偉そうなことを書いてしまいました。すみません。
                    平成20年4月21日
                        増田嗣郎

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