語感による科学的名づけ

ハク言語学     拍とシラブル

    ハク 言語学       拍 と シラブル  

 拍言語学 ハク言語学 の 提唱  

その言語が、拍で構成されているか、非拍音節、いわゆる、シラブルで構成されているかは、それらの言語の成り立ちの違いを予感させる。

英米文学者の大津栄一郎先生の[日本語の誕生]の中に紹介されている青森地方の方言による次のような会話がある。

[な ど さ?]
[わ ゆ さ]

これは、標準語では、

[あなたは どこへ行くのですか?]
[わたしは お湯に行きます]

であり、
 な は なれ、ど は どこへ の省略形とのことであるが、な は なれ、なんじ、あなた の原初形とみることもできる。なれ の普及している現在においては、な は なれ の省略形といえるが、なれ、われ、たれ の対比からは、な、わ、た がそれぞれの原初形とみるのが妥当であろう。

大津先生は、それゆえ日本語は単音から出発したと論じておられるが、私もそう思う。
日本語は、単母音から始まり単拍へと発展していったのであろう。単子音は考えにくく、あったとしても間もなく単拍に変化していったと思われる。

それでは、シラブルはどうか。単音を組み合わせてシラブルを作り上げたにしては、その間に、さしたる方向性が見当たらない。(それで、恣意的などと言い出したのか?)。
むしろ、シャウトのような音のカタマリから出発し、それがリファインされて、多数が使うシラブル的なものに落ち着いていったのであろう。それゆえ、現在の欧米語のシラブルが、3000余りという多さになってしまったのであろう。(ちなみに、日本語の拍は100余り)

このようにみてくると、拍とシラブルの成り立ちが全く異なるゆえに、何かから拍とシラブルが分かれた、あるいは、いずれかから、いずれかへ変化していったということは考えにくい。
そうなると、日本語と欧米語は起源が全く異なるのか。
より深い研究が待たれる。

単音から出発するか、音のカタマリから出発するか。方向が全く逆である。これによって出来た言語の性格が大きく異なるのも当然であろう。どのように違うか。

拍は、例えてみれば、模型のレゴのチップのようなものである。これに対し、シラブルはプラモデルのパーツに相当する。
レゴでは、限られた種類のチップでいろいろの物が出来る。プラモデルでは、作品ごとにすべてのパーツが異なるので、いろいろの物を作ろうとすると大変な数の異なるパーツが必要となる。ただ、出来上がりは、プラモデルの方が数段精巧である。レゴは何でも出来るが、だいたいで、おおまかである。
日本語があいまいと言われるのもこのためである。

この結果、言語そのものの違いだけではなく、その言語を使う人々のものの考え方にも違いがでてくる。

音をたして拍を作り、拍を組み合わせてことばを作る。
この組み上げ方式から、語尾に異なるチップをくっ付けることによって、名詞から動詞・形容詞を作ったり、動詞の活用変化などが容易に出来るようになった。
(今でも、ナウい、Hする などのことばが簡単に作られる)
この組み上げ方式から日本語の膠着性が生まれてきたのかもしれない。
ことばとことばをくっ付けて新しいことばを作る。明治期、漢字と漢字を組み合わせて新しい概念を表わす日本製漢字を作った。(経済、哲学、人民、共和、・・・)

日本語は、レゴの作品のように、おおよその概念となり、そこから、それを〜と見なすという、見なしの習慣が発達してくる。見なしから、見立ての文化も生まれてくる。
また、おおよそということから多義性が生じ、状況に応じ、多義の中から真意を見抜く必要のある相対言語(状況に応じた言語、場の言語)的性格が強くなってくる。
(主語がなかったり、ハイ・イイエが質問によって変わったり、[私はうどん]などの通じる言語)
拍の種類が少ない上、語尾変化に法則性があり、結果、語尾の音の種類が少ないゆえ、韻を踏む面白さが使えず、詩歌は五・七・五の拍数で楽しむ方向に発展した。
(シラブルでは俳句は作れない)
また、拍の種類の少なさから、同音多義語が生まれる。その場その場で、その同音多義語から適合したことばを選び出す必要も生じ、場の言語的性格がますます強くなった。
この同音多義語が多いことから、しゃれ、駄洒落の文化も発展してきたのであろう。駄洒落こそ日本文化の粋である。

現在の欧米語は、プラモデルのプラスチック成型したパーツであろうが、印度ヨーロッパ祖語の段階では、ブロックから削り出した大雑把なものであったろう。それらの削り出しパーツが各地に散らばり、様々な人々の手に渡り、代々引き継がれる間に、元の材質も変わり、民族のクセのようなもので変形され、また一方、リファインされ、現在のような英語・仏語・イタリヤ語などになっていったのであろう。
元の削り出しパーツが、どの程度語感に忠実であったかは分からない。その後の変形が語感とは関係のないいろいろの要因によって生じたため、現在のパーツ(シラブル)からは語感が大変見えにくくなっているのかもしれない。元のブロックには素材感が十分あったろう。しかし、現在のシラブルからは豊かな素材感が消え、無機質なプラスチック片になっているのだろうか。しかし、日本語に流入している外来語には、語感をよく表わしているものが多いのだが。
    プチ・クール・ホット・イン・アウト・シャイン・スルー・・・
ソクラテスだけではなく、欧米の研究者の中にも語感を感じ、語感と単語を結びつける努力をしている人たちもいる。
   Margaret Magunus [ GODS Of The WORD ]

  拍 の 定義  

言語学上の拍は日本語に特有のものなので、対外的には、拍を定義しなければならない。日本語のことばの音の最小単位、すなわち、日本語の音節が拍である。基本的には、子音1と母音1の組合せである。母音1のみもある。拗音も子音1と見なし、促音も1拍と見なす。撥音(N・M・ng)は子音ながら例外として拍と見なす。これが拍である。日本語以外で使われる音節は非拍音節(Non Haku Syllable)である。これが、いわゆる、シラブルである。

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