語感による科学的名づけ

科学的とは

科学的とは

科学的とは  

○ ナゼ に対する根拠があること
○ その根拠が恣意的なものではなく、客観的なものであること
○ さらに再検が出来ること。すなわち、誰が何度やっても同じ結果が出ること です。

 勿論、占いに科学的根拠はありません。

 統計分析・アンケート調査というのは、ある事象からデータを抽出し、ある傾向を割り出すというものですが、そこで言えるのは、ただ、そのような傾向の事実はあるだろうということだけで、ナゼ そうなるかはいっさいありません。
 ナゼ の根拠がなければ科学とはいえないでしょう。ただ、統計分析という科学的手法を使ったというだけです。

 それでは、語感分析は科学たりうるか。
 ナゼ はあります。
 発声時の口腔内体感を語感の生じる根拠としているからです。

語感  口腔内体感について  

 口腔内現象は物理現象です。体感そのものも物理現象です。しかし、個々人の体感の中身、何をどの程度感じたかは、個人でまちまち、すなわち、主観です。感性は主観です。

 本質的に主観である感性を客観として、すなわち、科学として扱うことが出来るか。

 主観である感性を科学として扱う上での問題点は、個々人によって感じ方がそれぞれ異なるということです。何をどうどの程度感じるか。量と質の問題があります。

 まず、量的には、これは近似値として扱うことができるでしょう。日本人男性の体重は個々人によってすべて違う。血糖値も違うでしょう。しかし、日本人男性の平均的体重、平均的血糖値をたてることは可能でしょう。又、幅をもたせて 165 から 170cm だろうと想定してもおおきな誤りではないでしょう。

 次に、質的には、すなわち、何を感じているかについては、個々人のクオリアがすべて同じということはありえませんが、切り口を決めることによって平均値を推定することは可能です。又、切り口は、口腔内現象という因果関係がはっきりしていますので決めることができます。より多くの切り口を用意すれば、より真実に迫れますが、実用上は、幅のある平均値という考え方で適当に絞ることも可能でしょう。

 したがって、主観である感性も、幅のある平均値という考え方を導入することによって客観として、すなわち、科学として扱うことができます。

仮説の検証  

 我々の語感分析は、語感は発声時の口腔内体感に起源を持つとの仮説に基づいていますが、その仮説の検証はどのようになされたのか。私は日本語オノマトペでこの仮説の有効性を検証しました。すなわち、我々の語感分析の諸結果と日本語オノマトペとの間に整合性があるかどうかを個々に検証しました。

 語感分析とオノマトペとの整合性のチェックは、具体的には、2000余りのオノマトペの一つ一つを音素、拍に分解し、その一つ一つを語感分析し、その結果全体を物語として読み、そこに齟齬、違和感がないかどうかをチェックしました。

 音素一つ一つのイメージはクオリア状態であり、多くのイメージのカタマリであって、その一部を使うことによってオノマトペは作られていますので、すべてがピッタリはありえず、違和感がないことが重要です。
 結果は、オノマトペは当然として、日本語の中でも、日本古来の言葉、やまとことばは、語感に添ったものが大半で、その意味で、素直な言語ということができます。
(それをソクラテスは美しいと表現しているのです。)

オノマトペとは  

 擬音語・擬態語を総称してオノマトペといいます。
  
 日本語には約2400のオノマトペがあります。オノマトペの数は、定義の仕方によって1634から4000余と幅があり、一般的擬音語・擬態語辞書に収録されているのは、2000から2400です。

 擬音語は、音(鳴声を含む)を言葉の音に置き換えたもの、擬態語は、人・物のあり様を言葉の音でなぞらえたものです。いずれも、元のものを、言葉でまねようとしたもので、実際の人の顔に対する似顔絵に相当します。

 似顔絵は、顔そのものを写実するよりは、顔の特徴を誇張、ディフォルメしたほうが人に伝わりやすく、オノマトペも、元の音、元のあり様のイメージの特徴を捉え誇張して作られています。
 似顔絵にも上手下手があるように、オノマトペにもイメージをよく伝える優れたものと今一のものがあります。今一のものは余り使われなくなり、やがて廃れる。今使われているオノマトペは、このような人々の選択の結果生き残ったもので、そのもののイメージをよりよく伝えていると思われます。

 何代にもわたって使い続けられてきたということは、何代にもわたって人々に支持されてきたということで、いわば、歴史のアンケート調査で支持されたということでもあります。

無意識化  

 語感の根拠は発声時の口腔内体感です。そして、それぞれの語感の脳へのインプットは、赤ちゃんがことばを覚え感性が分化・深化していく過程で同時並行的におこなわれていると考えています。

 ことばを覚えるには、まず赤ちゃんはことばの音を聞き分けて、その音を発声できるようにならなければなりません。その音一つ一つを発声するには、口の中で大変複雑な動きをしています。大人になった皆さんはすっかり忘れてしまったのでしょうが、赤ちゃんのとき、ことばの音を発声するとき、試行錯誤の大変な努力をして、一つ一つ覚えていったはずです。

 この口の中の動きの手順は小脳に記憶され、無意識化され、自動化されます。このときの口の中の複雑な動きの感覚も無意識層に格納されます。そして、一つ一つの発声と無意識層でしっかり結びついていきます。

 その後は、発声のときだけではなく、その音を聞いたときも、目で読んだときも活性化する大脳新皮質の言語野と連動して、無意識層で活性化すると思われます。
 これが’スルスル’という字を見ただけで、スムーズさ、滑らかな動きなどをイメージする機序です。意味を覚えているわけではありません。

 ことばは一応約束事ではありますが、本来はその音の持つイメージに裏付けられているのです。ですから、すぐ覚えるし、オノマトペの使い方を一生忘れたり、まごついたりしないのです。

  天気予報は占いか? 血液型性格分析は科学か?  

古来、気候・天候の予測は、人類にとって大きな関心事であった。
季節の変化・移り変わりを何代にも亘って観測した結果、暦を作った。
明日の天気にしても、ツバメが低く飛んだから雨だろうとか、三寒四温だから、そろそろ明日は温かくなるだろうとか、経験の積み重ねから予想をしていた。
天気予報はこのような経験から法則性を見つけ出し精度を高めてきた。近年宇宙からの衛星写真で飛躍的にその精度が上がった。もちろん、衛星を打ち上げる技術など科学技術の進歩の賜物ではあるが、そのベースには、ナゼ雨が降るのか、ナゼ四季の変化があるのかなどの解明の積み重ねがある。
経験による雲の動きからだけの予報であれば、それは占いに近い。しかし、ナゼ雲が発生し、ナゼ動き、ナゼ雨となるかが分かった上での予報は科学である。

血液型と性格との間には相関があるのか。長年の人間の観察から生まれたのが現在の血液型性格分析である。しかし、世間に流布している血液型性格分析には、いっさい、ナゼがない。経験則だけである。これでは科学とはいえない。
ただ、血液型そのものは科学的事実である。
血液型の違いが疾病にたいする抵抗力の違いをもたらしているのも科学的事実である。この抵抗力の違いと性格との間の関係が明確に示されれば科学となる。
その他、血液型の起源として農耕民説、遊牧民説などもあるが、そこから論理的に性格特性が導き出せれば立派な科学になるだろう。

  帰納と演繹  

われわれの語感分析について、よくある質問に、何人の人からアンケートを取ったのかというのがある。
これは、語感分析には元データがあって、そのデータは多くの人から集めねばならず、その人数が多ければ多いほど正確あるいは信憑性があるとの思い込みがあるためと思われる。
語感のデータを収集するには二通りの方向が考えられる。
一つは、上記のように、みんながどのように感じているかを収集・整理しようとするもので、今一つは、今使われていることばから、個々の音とその音の持つイメージとの間の法則性を探り出そうとするものである。いずれも帰納法であって、処理の方法がいかに科学的であっても、抽出されたデータ、あるいは法則は科学とはいえない。
ナゼがないからである。(人文科学的ということはあるが、自然科学ではありえない。)

われわれのアプローチは、これらとは全く正反対である。すなわち、ナゼから出発したのである。
語感はナゼ生ずるのか。そして、語感が生じるのは発声体感からだとの仮説を立てた。
演繹法である。そして、その仮説の妥当性を検証した。
検証の方法には、帰納法と同じく二つの方向がある。一つは、多くの人にアンケート調査をして整合性を確認するもの。今一つは、今使われていることばとの整合性を確認するものである。
最初のアンケートによる方法には非常に大きな欠陥がある。語感というものは、そもそもサブリミナル(意識下)なものである。この意識下に生じたイメージを顕在意識化させ、さらに言語化するのは非常にむつかしい。これを一般大衆に求めると、そこにバイアス、すなわち、合理化とか同調とか見栄とかが加わって、非常にゆがんだ結果が出てしまう。
世界的に著名な脳生理学者ラマ・チャンドランの実験に、二つの曲線(かくばったものと、丸みを帯びたもの)を示し、名前をつけるとしたら、どちらが キキ で、どちらがブーバ かというものがある。語感的には、もちろん、とがった方が キキ で、丸みを帯びた方が ブーバ であるが、厳密なテスト環境においても正解率は95〜98%だそうである。そして、NHKが街頭でこのテストをやったところ、正解率はなんと80%であった。20%もの人が、問題が良く理解できなかったか、他の思惑があって異なる解答をしたものと思われる。また、著名な統計学者が、質問の仕方でどのような結論でも出してみせると言ったというような話もあり、統計は学問的にも扱いが非常にむつかしいのである。
今一つの方法は、現在使われていることばとの整合性を検証するものである。
この方法を先の帰納法に適用すると、母集団の問題が発生する。
その母集団のことばが語感を忠実に反映しているかという問題と、そこから抽出した法則性はその母集団にしか適用されないという限界である。
大和言葉を母集団として選べば、大和言葉が語感に忠実かという問題と導き出した法則が大和言葉以外、欧米語だけではなく、漢字語・カタカナ語(すべて日本語)には適用できないという限界である。
これを演繹法の検証として使う場合は、語感を忠実に反映しているかという問題はクリアーされる。ナゼなら、結果として整合性が確認できれば、その仮説の正当性と母集団の語感忠実性が同時に証明されるからである。
母集団の偏りについても、演繹法の検証としては、一部でも確認できれば、それでも十分という関係にある。
われわれは、検証のための母集団として日本語オノマトペを選んだ。これは、語感に忠実と思われる日本語の中でもオノマトペがより忠実と判断したからである。日本語オノマトペ2000余を使ったが、結果的には、オノマトペは全く語感そのものであった。
(擬音語・擬態語だから、当然といえば当然)

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