語感による科学的名づけ

語感について 補講

⇒ 語感について (語感言語学)

語感について 補講    

 語感について、よりお分かりいただくために、押野岬様のご意見と私の返信を以下ご紹介いたします。(ご意見を頂いた押野様のご了解は頂きました。有難うございました。)

読者より  

「日本語はなぜ美しいのか」、「語感対決!77」を楽しく読ませていただきました。
 最近の、脳科学の発展は目を瞠るものがありますね!中でも、茂木 健一郎の「クオリア」に関しては、貴著の中にある発音体感、50音図などの語感分析とかなり密接に関係があるように思えます。
 私の乏しい知識では、四の五の言える程ではありませんが、
 1)語感は多面的で、両面の印象を持ち合わせ・・・・
 2)語感は受けての脳の構造・ココロの状態・・・、同時に当然、発信者の脳の構造・ココロの状態も然りですし
 3)発音のイメージと意味がほぼ一致する言語文化・・・
などの主張からすると、日本語だけが、上のことに当てはまるわけでなく、世界中の母語に当て嵌まりませんか? そうでないと、世界の詩歌や音楽、オペラが何処の国ででも 喝采を浴びることはないとおもいますが。 ワーズワースの詩などは、日本訳の詩も素晴らしいですが、原語も韻を踏んで素敵ではないですか。
 ヒトが言葉を話す以前は、発声音の筈です。日本語だけが特別と言う主張は、あまりにも狭い範囲での分析ではないですか?
 日本人だから、日本語が愛しい母親の言葉だから美しいのであって、フランス人は、 やはり母語のフランス語が美しいと思っていますよ! そうでしょう?
 尤も、上記の本が、単なるミーハーの喜ぶ占い本のようなものなら別なのですが・・・・・
 もう少し歯ごたえのあるものかと期待しましたが、サンプルを統計的に処理したり、薬学で言う「二重盲検試験」のようなもので判定する事が必要でしょう。単なるオマージュでしたら仰々しすぎませんか? TVの捏造事件と全く変わりませんね。
 少々言い過ぎかも知れませんが、如何にも”科学的な”ような断定が多かったので、つい調子に乗ってしまいましたが、半分は本気です。  宜しく。  押野 岬     2007.06.14
 To President Ms. Ihoko Kurokawa

返書  

押野 岬様
 メール拝読させていただきました。二冊もお読みいただき、貴重なご意見まことに有難うございました。

 それぞれの言語が、それを母国語とする人々にとって、もっとも美しいだろうとのご主旨、もっともです。私も同感です。ただ、基本的なところで誤解があるようですので、ご説明させてください。
私たちは、日本語だけが美しく他の言語は美しくないとは思っていません。この本では、そもそも「美しい」とはどういうことかの定義も、表面、していません。この本で言っていますのは、ソクラテスの定義にあてはめると、日本語が最美になると言っているのです。ソクラテスの定義は「日本語はなぜ美しいのか」のP122に引用していますが、これは、「プラトン全集2 クラテュロス テアイテトス」(岩波書店)−P156 「・・・ 大多数の名前が{事物に}似ている -----つまり、ふさわしい---- ばあいには、その言明はおそらく能うかぎりは最美のものとなるだろうし、・・・」からの引用です。ここでソクラテスはものの名前は似顔絵のようなもので、そのものの本質を音で表現したもので、似ているものもあればあまり似ていないものもある。大多数の言葉がものの本質をうまく表している言語が最美の言語であるという意味のことを言っています。

 また、P132には、デルタ(D)とタウ(T)は・・・、舌を圧縮し{歯の裏側へ}押しつける作用をもっているので、束縛と静止を模倣するのに役立つ・・・とも言っています。これこそ発音体感ですよね。他に S,R,L,I、O などにも言及しています。

 ちなみに、私たちは音に意味があるとは言っていません。発音体感にもとづく色々な体感のかたまり(クオリア)があるとの立場です。そして、多分多くの方が感じておられるでしょうが、私たちが分析した結果でも、音の感じとそのものが非常によく合っているものが日本語、特に大和言葉の中にたくさんあります。この点日本語が際立っています。S でいえば、さらさら、さわやか、さっぱり、すっきり、するり、すくすく ・・・ きりがありませんね。そこで、もしもソクラテスがいま生きていたら、日本語、大和言葉が最美であると言うだろう、という意味です。もちろん、クール、スムース、フェアーなど、他国語の中にもピッタリのものもたくさんあります。(だから、われわれ日本人もそのまま使っているのですが)。一方、日本語の中にも、他言語から導入したもの、分割あるいは合成したもの、などで意味が優先して語感から遠ざかったものも多くあります。「美人」など美しい音でしょうか。「経済」など語感とはあまり関係ありませんね。

 「日本語はなぜ美しいのか」では、日本語が他の言語とは大いに違うとも言っています。しかし、だから優れているとは言っていません。日本語は数少ない母音中心の言語(開音節語)であり、それ故、心情を表現しやすいと私たちは考えています(反対に論理・概念は表現しにくい)。母音はアナログ(自然音)で、子音はデジタル(強制音)ですものね。日本語の母音特徴については、角田忠信教授の「日本人の脳」がおもしろいですよ。(すこし古いですが真実は変わらないですものね)

 言葉の前に音声があって、言葉より音楽が先ではとのご主張ですが、これは議論の分かれるところで「歌うネアンデルタール」(スティーヴン・ミズン)がおもしろいですよ。個体の発生は種の発生を繰り返すとの説がありますが、赤ちゃんは言葉より先に歌いますかね。ミズンは歌と言葉の前段階があると言っています。

 貴方は S の音にさわやかさを感じますか。感じるとしたらそれはなぜですか。意味ですか、約束事でしょうか。約束事なら、サラサラとカラカラが逆であってもいいわけで、「キミの髪は、しっとりカラカラしていて、気持ちいいね」もありえたのでしょうか。普通の人なら、違和感を覚えるのではないでしょうか。S にさわやかさを感じるのは、K に硬さや乾いた感じを感じるのは、S や K を発声するとき、口の中でそのように感じるからだ、というのが私たちの理論の中心です。(私たちの理論の前に大きな壁があります。語感を感じない人たちがいるということです。感じないゆえ、そんなものは無いと思っている人たちがいるということです。バカの壁ではなく感性の壁です。壁の向こう側には豊かな世界があるということを考えてもみたことのない人がいるということです。)

 脳の中である言葉を発声したとき発火するのと同じ場所で、その言葉を聞いたときも、その文字を読んだときも発火する場所があります。発声したときの体感が脳に記憶されていて、聞いたときも読んだときも、あるいは、頭に思い浮かべたときにも再生されるのです。意識に上らなくても、潜在意識で、サブリミナルに再現されているのです(前頭葉にあるミラー細胞なども関係しているのでしょうね、もちろん、大脳辺縁系も。)。

もし、貴方が S の音にさわやかさを感じられないようでしたら、貴方のまわりの若い女性に聞いてみてください。S にさわやかさを感じるかどうか。K に硬い感じ、乾いた感じを感じるかどうか。あまり率直に告白して彼女たちにばかにされないようにしてください。ほんとうに貴方が感じられないようでしたら、それは貴方が左脳だけを使い、長い間右脳を封印してきたからかもしれません。ワーズワースの詩を楽しめるならそんなことはないでしょうが。

 「あっはっは・・」と「えっへっへ・・」は同じように聞こえますか。やはりお役人様にとりいる悪徳商人は「えっへっへ・・」でしょう。「いっひっひ・・」は高利貸しかな。「おっほっほ・・」はおつにすました奥方でしょうか。賂を懐にしたお役人は「うっふっふ・・」かな。これらは、ただ A と E と I と O と U が違うだけです。これも約束事? それなら、どうしてそのように決まったのでしょうか。偶然? 私は必然だと思います。

 私たちは、語感の正体は、口腔内物理効果の体感であるとの理論立てをしました。では、その検証はどのようにしたのか、貴方の言う統計的処理、あるいは、二重盲検ですが、私たちは、分析結果をオノマトペでチェックしました。日本語には約2400のオノマトペ、すなわち、擬音語、擬態語があります。そしてわれわれ日本人は日常会話にこのオノマトペを非常によく使います。このオノマトペこそ語感そのものですよね。この約2400のオノマトペと私たちの分析結果が矛盾しないかどうか検証しました。これは一種のアンケート調査です。一億以上の日本人が何世代にもわたって使ってきたオノマトペは、その人々に支持されてきたわけです。フィーリングに合わないオノマトペは使われなくて廃れてしまいますからね。

 先にご紹介した角田教授の理論はfMRIで追検できそうですね。誰かやってくれませんかね。語感の違い、情感の違いの検出はfMRI,MEGなどでもまだ無理のようです。

 長々と書いてしまいました。できるだけ多くの方に私たちの理論を理解していただきたいからです。いろいろのケースを想定して、書きましたので、思い過ごしの部分も多々あろうかと思います。 「そんなもん、わかっとる!」とお思いかもしれません。お許しください。理論的にご不明の点がありましたら、ご照会ください。
   蟯鏡リサーチ 上席主任研究員 増田嗣郎

再度・読者より  

増田 嗣郎 上席主任研究員 様
 言語の語感などまだ、明確に学問的な裏付けの無い分野で、あれこれ議論を交わしても、門外漢の私としては失礼で申し訳ありませんので、今回で終りにします。どうしても気になり
ますので、一つだけ言わせてください。
 「ソクラテスの定義にあてはめると、 日本語が最美になる」 これを貴方は信じている、そして其れを証明すべく研究しているように、この本から随所に読み取りました。
 そして、オノマトペーにしても、 S のサラサラについて、髪の毛のサラサラ、小川のサラサラ、笹の葉のサラサラ、食塩,砂糖のサラサラは、繊維、流体、薄片, 粉体の状態を表していますが、ソクラテス流に言うなら、サラサラの語感に最もふさわしいのは、繊維?、流体?、薄片?、粉体?でしょうか。
 また、笑い方の A ,E ,I 、O、U、にしても、同じではないかと思いますが、幼児の時の最愛の母親からのインプットではないかと思います。
 いずれにしろ、この議論の結論は、茂木 健一郎のような脳科学者の研究を俟たなければならないでしょうが、可なり時間の掛かる事と考えます。しかし、情報の正確な伝達を考えたとき、非常に重要なことと考えます、それぞれの主張は、お互いに尊重すべきと思います。 Good luck !
いずれ又、  Best Regards   押野 岬

返書  

    
押野 岬様
  一つだけ言わせてください、とのことでしたので、私にも一つだけ言わせてください。勿論、議論をするつもりはありません。分かってもらいたいからです。

 根本的な誤解があるようですので、今一度説明しますと、
 私たちはソクラテスの説を証明しようとしているのではありません。
 又、日本語が美しいということを主張し、それを立証するのが目的ではありません。

 この本で言いたかったことは、
ことばの語感は発音体感からきていること、と
日本語には、その語感とそのことばが表そうとしているものの感じがよくあっているものが多いということです。
 ことばが示しているものと、そのことばの語感がよくあっているかどうかは、科学的証明の問題ではなく、それを貴方が感じるかどうかということです。似顔絵のうまい下手は科学的分析によって分かるのではなく、みんなが、なるほど、そうそうと思うかどうかにあります。むしろ実物の原寸比率にあわせた似顔絵よりも、その人の特徴を誇張しデフォルメした似顔絵のほうが、その人らしく思われるのではないでしょうか。ことばも同じです。

 ことばの音の発音体感については、ソクラテス以外にも、 幸田露伴「音幻論」、江戸時代の国学者鈴木朖「雅語音声考」−言語の写生起源説―などで論じられていますが、僧先覚(鎌倉時代)、鴨真淵、本居宣長、橘守部なども、それらしいことを言っています。

 サラサラが流体か粉体かということですが、これは考え方の順序が逆です。小川の流れがあって、乾いたきれいな粉があって、その状態を表すのにサラサラがぴったりだったということです。サラサラということばの音のクオリア、その切り口によって、小川の流れにぴったりであったり、粉の状態にぴったりであったりするのです。サラサラが意味を持っていて、一義的に何かに結びついているのではありません。サラサラ、すなわち、音のかたまりはクオリアであって、多義的で切り口によって色々に見えるのです。(何にでも見えるということではありません)。カラカラも乾燥した状態も表しますし、中が空洞の状態、あるいは、軽やかな状態も表すことができます。

 私たちは、サブリミナルインプレッションの脳内機序を少しでも解明したいと思っています。ただ、少なくとも、脳の中の小さな神には逃げたくありません。
   蟯鏡リサーチ   増田嗣郎

再々度・読者より  

お忙しい中、丁寧な応答大変感謝しています。機会がありましたら、又チャレンジ
したいので、その節はよろしく。疑問は疑問として、脳の引き出しに入ったままですので。  Best Regards   押野 岬

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