語感による科学的名づけ

語感言語学 − 音義説との批判について −

   語感言語学 − 音義説との批判について −  

 我々の語感分析理論について、よくある批判は、それは音義説であって、すでに学問的には否定されたもので、決着がついている、というものですが、これは我々の理論を理解し得ないが為の全くの誤解です。

 そもそも、我々の説は音義説ではありません。音義説というのは、簡単に言うと、音と意味を結びつけるものですが、我々は音に意味があるとは考えていません。
 音にはイメージがある、イメージの集合体、クオリアだといっているのです。したがって、同じ一つのクオリアでも切り方によって色々に見えます。'カラカラ'は、のどの渇いたときにも使えますが、滑車の軽やかに回っている様子にも使えます。しかし、水の流れや象さんの動きなどには使えません。違和感があります。それは、このクオリアが、水気のあるもの、重いもの、ゆっくりした動きなどのイメージを持っていないからです。

 我々の説は、あえていえば、音象説でしょう。語感クオリア説でもいいですね。

 ソクラテスはじめ先達は、口をおおきく開けるとか、舌を上顎に着けるとか発声体感に気づきながらも音を意味と結びつけてしまったために、その後学問的には行き詰ってしまいました。
 ことば(言の葉)もそうですが意味というのは、決め付けることです(約束事)。また、それでことばの世界(言語)も発展してきたのですが、語感を考えるときは、今一度原点に帰る必要があります。学問も、日本独自の語感言語学としてあらたに出発すべきでしょう。

 日本語には、オノマトペをはじめ語感をすなおに反映したものが多く残っています。この日本語環境で育った我々は新しい学問分野、語感言語学を作り上げる恵まれた環境にあります。また、それを活かすことは、人類的には、我々日本人の使命でもあるでしょう。

   ⇒ 語感言語学 音義説   

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