語感による科学的名づけ

放言 ご免 !

放言 ご免 !  責任は持てません  !!  

 思い込み、思いつき、一知半解、独りよがりのページです。 !!  

  数字が科学か  

 キチットした数値にしなければ科学ではないというのは、古い考え方です。そもそも不確定性理論というのは、ある瞬間におけるある素粒子の位置を確定することはできない(確率的にしかいえない)、ということですし、複雑系のマルコフ連鎖にしても初期値が変われば結果は大きく変わり、現実には初期値がいっしょということなんてありえず、結果として、人の指紋は一人としていっしょではありえない(一卵性双生児でも)、というようなことです。しかし、一方、指紋の全くない人もありえないということです。そして、指紋の形成は、それが一つとして同じものが無いとしても、科学の対象です。

  語感をめぐる三つの壁  

○ 感性のバカの壁
 感性にもバカの壁がある。壁の向こう側にすばらしい世界が広がっていることを知らない人たちがいる。壁があることすら気づいていない人たちがいる。そして、壁の外の話を聞いても絵空事としか思わない。バカバカしい話としか思わない。
このような人たちは、中高年の男性に多い。意外なことに、高学歴の人に多い。
 ナゼそうなのか。
 思うに、法律・会計などの学問は、約束事、人々の取り決めを、その理由を問わず、より多く、より正確に覚え適用することを学ぶわけで、成績が良かったということは、その訓練をよりしっかり積んだということであり、法律・財務の世界で仕事をやり遂げてきたということは、約束事の世界をすべてとし、それに適応して生きてきたということで、元来は持っていた感性的なものを忘れ去っただけではなく、感性的なものに対する拒否反応をすら身に着けるに至っている、ということのようだ。
○ デジタル信仰
 そもそも前述のバカの壁の根底には、知性あるいは論理にたいする信仰がある。知的なものは程度が高く、それに対して、感情・情緒・感性などは程度の低いものだという思い込みがある。感情・情緒・感性などは、すぐれてアナログで、いいかえれば、曖昧でつかみどころがない。曖昧でつかみどころがないものは非科学的と考えてしまう。
 これに対し、理性は、論理の割り切りで、デジタル、判然としている。数字で表わしていれば、ただそれだけで信用する。デジタルは科学的と考えてしまう。
 なまじ高学歴の人たちほど、知的・デジタルなものを高く、感性的なもの・アナログを低く考える傾向がある。
 さらに、感性を知的に考えることなく、曖昧だから、つかみどころがないからといって、学問の対象からもはずしてしまう。知的堕落である。人間はデジタル・ロボットではなく、アナログな生命体である。
○ 判断放棄    ソクラテスの呪文
 語感分析の説明をすると、多く返ってくる反応に、それは誰が言っているのだというのがある。理屈がどうゆうものなのか、自分が納得できたのかどうかではなく、誰か権威のある人が認めたかどうかを判断の基準にしている。この傾向は、特に文系に多いが、これは現実社会では、いちいちこれはナゼだろうなどと考えていては追いつかず、世の中とはこうゆうものだと割り切って、みんながやっているようにやるという習慣がついてしまい、自分の判断はしなくなってしまっているためと思われる。
 実際、組織それぞれの指導層の判断が、自分の思考の結果ではなく、誰の意見を採用するかの判断のみになっているケースが多々みられる。完全にナゼが抜け落ちてしまっている。
 語感分析の説明に、誰が言っているのかと聞かれれば、最近は、ソクラテスだと答えるようにしている。それであっさり通ってしまうが、それ以上理解しようとしてくれないのはさびしい限りである。

   ピュセイ・テセイ 論争    法則 か 規則 か  

ギリシャの古から、ことばの本質について論争がある。
ことば(オノマ)は対象の本性(ピュシス)を表わしているとするのがピュセイ説。これに対し、単に取り決め(テシス)とするのがテセイ説である。
ソシュール以降、学界ではコードとメッセージの間には恣意性があるとする考え方が支配的である。これは、勿論、テセイ説である。
法則は自然現象、人為的には変えることは出来ない、すなはち、真理。
規則は単なる仲間内での取り決め、約束事であるから、ピュセイを法則、テセイを規則と置き換えて、今一度、ことばを考えてみたい。
ことばの構成要素であるそれぞれの音の響きのもつイメージ、これは法則である。なぜなら、音は物理現象であり、同じ音を出すには、舌をどうする、唇をどうする、息をどのように出すかなどが決まっているからである。口の形を変えれば違った音が出る。そして、鋭い音を出そうとすれば、鋭いイメージが、柔らかい音を出そうとすれば、柔らかいイメージが、その音を出そうとする本人の脳に生ずる。
ことばの単位は、これらの音を組み合わせて作られている。
日本語の場合は、子音に母音をくっ付けて拍を作り(子音のない単母音もことばになりうる)、欧米語の場合は、適当に(多分)音を集めて、いわゆる、シラブルを作る( 原初的には、音のカタマリから出発したかも)。
いくつの音を集めるか、どのように組み立てるか、たいした法則は、多分、ない( もともと、適当な音のカタマリだから)。
拍にするか、(結果的に)シラブルにするかは、言語のクセのようなもので、約束事である。すなわち、規則である。
そして、拍、あるいは、シラブルをいくつか組み合わせることによって一つのことばが出来る。この組み合わせ方も言語で異なり、約束事である。ただ、どの拍を選ぶか、どのシラブルを使うかには、その拍、シラブルのイメージがからんでいると思われる。
したがって、一つのことばは、法則的にイメージを持つものを、規則的に組み立てたものということができる。これは、言い換えると、ことばは、ピュセイ的なものを、テセイ的に組み立てたもの、ということになる。そうすると、論理的には、ことばは ピュセイ ということになる。
これを、なぜ、テセイ と考えるのか。思うに、論理的にのみものを考えようとする学者たちには、それぞれの音が、いろいろなイメージをピュセイ的に持っていることが理解できないのではなかろうか。
イメージは感性の世界であり、ことばを感性の側面から考えることに拒否反応を示してしまうのではなかろうか。思考の柔軟な若い研究者の登場を祈るのみである。

   恣意性 について  

ソシュール派の主張に、ある生き物を指すのに 犬 でも DOG でもよく、どれだという必然性はない、というのがある。そして、ゆえに、コード(名前)とメッセージ(意味)には恣意性があると。
これは論理の飛躍である。それでは、その生き物の名は 猫 でも ヒヨコ でもよかったのか。今の犬を、恣意的に名づけるのだからといって、ヒヨコ ってありえただろうか。ヒヨコ という音のもつひ弱さから、現実のたくましい犬を ヒヨコ とよぶには大変な違和感がある。すくなくとも、犬 を ヒヨコ と名づけることはありえない。これで恣意といえるのか。

例外もあるというのなら、日本語オノマトペのほとんどは例外であり、大和言葉の大半が例外ということになる。そうすると、日本語そのものが例外だと。
一つの有力な言語を例外とする言語学は、もはや学問ではなくなる。信仰である。

日本語の大(ダイ)・小(ショウ)は語感でも、ダイ は ショウ よりも大きく感じられる。勿論、おおきい という音の語感は、ちいさい という音の語感よりも大きいというイメージを多くもっている。
すなわち、ここにはコードとメッセージの間に明らかな相関関係がある。 
中国渡来の漢字にも語感に正直なものがあるのだろうか。それとも、われわれの祖先がそのように聞きなしただけなのか。今後の研究課題である。
画像の説明
画像の説明

   ソシュール に一言    逆はありえたか  

ソシュールは、言葉の シニフィアン(記号)と シニフィエ(記号内容)の間には、必然性はなく、恣意性があると言ったという。これは、記号と記号内容の間の関係性をも否定したということだろうか。
ソシュールは、日本語はよく知らなかっただろう。しかし、英語はよく知っていただろう。英語の中に関係性は見られないのだろうか。
英語の単語で、反対の概念をもつ二つの単語を選び出し、その単語が逆であっても有りえたかを語感的に考えてみたい。
すなわち、IN/OUT とか ON/OFF という対の概念があって、入る場合をたまたま IN にしたのであれば、OUT であったことも有り得て、入るを OUT、出るを IN であることも有り得たのであろうか。
語感的には、これは有り得ない。少なくとも、アウト(aut)という発声の語感と、入るというイメージとは結びつかない。同じく、オフ(of)という語感からは、上にある、乗っかるというイメージは出てこない。
IN(イン)のイメージは、i(イ 鋭い、まとまった、ますっぐ、しっかりした実在)+ n(ん 完了、止まる)イメージで、出て行くイメージは無理。
OUT(aut)のイメージは、ア(a おおらかな、開かれた、漠とした、広々とした)+ ウ(u 動き、内から外へ、外から内へ)+ ト(t 止まる) からは、入る、中にあるイメージは無理である。少なくとも、入る/出る、中/外 の対に対しては、OUT/IN よりも IN/OUT の対の方がそぐわしい。
ON/OFF の対は、発声的には、ン(n)と フ(f)の違いであるが、ン の完了、止まるイメージに対し、フ が軽く動くイメージで、これも逆は有り得ない。
逆が有り得ない対は、今思いつくだけでも以下の通りである。詳しい説明ははぶくが、語感で吟味していただけば明白だと思う。
COOL/HOT CLEAN/DIRTY ON/OVER PURE/MUDDY SOFT/HARD PUSH/PULL LIGHT/DARK MAL/FEMAL
・・・

   トータル  2468   今日  1

powered by Quick Homepage Maker 3.71
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional